命日 [父のこと]
本当は昨日お墓参りに行く予定だったのに母はそんな約束もすっかり忘れて友達とジムへ。
ムカついた私はお花と父の好きな甘い和菓子を買って家に飾り、結局お墓参りは行かずじまい
こんな母のこと、笑いながらいいよ(^_^)っていってるかも、
私は自分の気がすまないから行かなきゃって思ってるだけで、いつでも心の中にいるから何もお墓参りしなくても言い訳で。
千の風になってではないけど、私はここにいません、眠ってなんかいません(^_^)だよね
3年経った [父のこと]
昨日は父の命日だった。あれからもう3年が経ったなんて信じられないくらいあっという間だった。
会社から自分や家族の誕生日、結婚記念日、または命日などに1日有給とは別の休暇をもらえる。
自分の誕生日は超繁忙期なので、今回初めて父の命日である昨日、お休みをとりお墓参りに行って来た。
出来る限り時間を作っては行くようにしているけど、なかなか月命日ごとには行けないなあ・・・
我が家のお墓は明治時代に建てられているので、かなり古くなっている。いずれ弟の代になったら、綺麗なのを建ててもらおう
今月と来月は、父が長年気にしていた水回りの改修工事が始まる。
先月TOTOのショールームに行って、トイレやユニットバスなど色々現物をみてきた。
今はパソコンで即座にイメージ通りの画像を作成して見ることが出来て、それをプリントアウトしてくれる。まったく便利になったもんだわ。
色や形など本当に色々試せて結構楽しかった
ただ一つ困ったことは、うちのミッキーさん。
地震以来、臆病さんになってしまった。先生に相談したら、結構音はストレスになるので、半日預かりにしたらどうかというアドバイスをもらい、工事で大きな音が出る日はクリニックに連れていくことにした。
父に一番に使ってもらうことが出来なくて残念だけど、きっと喜んでくれていると思うな。
最近母が、長く歩くと腰が痛いなんて、年寄り臭いことを言い出してきているし、新しいバスルームでのんびりと日々の疲れを癒して欲しいものだ。
補助の手すりはまだまだ当分おあずけですよ
1年が過ぎて [父のこと]
今日が本当の父の命日。 つい昨日のことのように想い出される。
今日仕事から帰って来ると、父の写真が置いてあった台がかたずけられていた。写真は祖母と並んで、仏壇の上に飾られている。
母なりの、1つの区切りのつもりだったのかも。私的には、ちょっぴり寂しい気持ちも・・・
そこに写真があったことで、なんとなく近くに感じていた部分もあったのだけど、これからは、それぞれの心の中で生き続けていくのかも知れない。
はずかしながら私は、この歳になってもプライベートで父や母を呼ぶときは、パパとママである または、名前やあだ名で呼ぶ。
我が家の習慣かも知れないけど、弟も私のことを名前で呼ぶし、両親のことを○○ちゃんとか愛称で呼んでいる。
類は友を呼ぶのか、弟のお嫁さんも自分のだんなのこと(つまり弟のこと)を○○君と独身時代のままの呼び方で呼んでいる
まあ、ざっくばらんな家族と言えば聞こえはいいが、すべてがそんな調子で、あまり緊張感のない家族だった
そんな父が、今日の命日に私と母にちょっとしたプレゼントをくれた(と、私と母は思っている)
どんなプレゼントかはまた後日書くことにする。
とりあえずお役目終了 [父のこと]
心配していた天気も、なんとか夕方までもち、無事に父の一周忌法要を終えることが出来た。
お経の後のお上人のお話で、回忌の法要は、供養することはもちろんだが、故人を想い出す日でもあるとのこと。
日頃の忙しさに段々と想い出す事が少なくなって来た頃にちょうど、法要の時期が来る。一緒に生活を共にしていた家族にとっては、忘れることはないが、家族であっても離れて暮らしていたり、ましてや親戚の人たちになれば、やはり想い出すことも少なくなっていくことは当然かも知れないな・・・
今回の法事と、姪っ子の授業参観などを兼ねて、一年ぶりに弟が海外赴任先から戻ってきた。もう、姪っ子のテンション上がりっぱなし
お寺を後にして、一行は一路「横浜中華街 萬珍楼」へ。
大人ばかりのなかで、チビさんが一人かわいいホステス役になったくれた
みんなの写真を撮ってくれたり、ひょうきん振りを発揮して笑わせてくれたり。
写真は、牛肉とアスパラ、エリンギをXOジャンで炒めたものだったかな?
取り分けてもらう前に、無理やり写真を撮ってた
ランチのコースだったのだけど、量もちょうど良く、広東料理にしては、油っぽくなくて、年配にもやさしい料理でした。
こうやって、1つ1つ行事が終わって行きながら、だんだんと悲しみも癒えていくのかも・・・
もうすぐ5月も終わり [父のこと]
雨上がりのアジサイにかたつむり・・・梅雨の季節ももうそこまで来ている
もうすぐ父の祥月命日がくる。昨年の6月3日、あの日からちょうど1年経とうとしている。
父が仕事で使用していた机の上に、1年前の今日、私が携帯で写した写真が飾ってある。最後の支払いの為に事務処理をしていた姿をなんとなく写した。その時はまだ、こんなに急に逝ってしまうなんて、誰も思っていなかった。
会社を起こして29期目。ここ数年は、赤字決算が続いていたのだけど、父にとっては、命綱のような存在だったようだ。それが証拠に、以前取引先の倒産でかぶった借金の返済を遅滞なく無事に終えた頃、肝臓への治療が出来なくなり、骨に転移が見つかった。そして、肝硬変の悪化のために腹水や、足の浮腫が進み、車の運転が出来なくなったとき、やっと廃業を決めた。全ての仕事関係の人たちに挨拶をして、その1週間後にこの世を去った。
会社と共に終わった人生だったように思う。仕事が生き甲斐であり、支えでもあった。
男の人にとって仕事は、まさに自分の人生そのものなのかも知れない。特に父の年代などは、自分が働いて家族を養うということが当たり前の時代に育ったわけで、当然仕事以外のことは母の方に主導権が移る。
祖父が建設会社を営み、幼少の頃は結構裕福だったらしい。学生時代は結構、いえ、かなり遊んだと聞いた
まあ、相当授業料をつぎ込んだのでしょう。 母と結婚してからは、(お酒大好きなこと意外は)いたって家族思いの良き父 だった。
亡くなる前の年の暮れに、父の母校である早稲田大学から創立記念か何かの新聞と、カレンダーが届いた。いつもはろくに見もしないで、ゴミ箱行きなのに、何故か、ご丁寧に自分の机の前に張っていた。
私が「めずらしいね、こんなの貼るなんて。」と聞くと、笑っているだけだった。
青春の1ページである、学生時代を懐かしんでいたのかも知れない。